作詞:久保田万太郎 作曲:四世杵屋佐吉
明治・大正期の浅草周辺の風物を、初夏から晩秋にかけて組唄的に描いたもの。
浅草のお富士様、隅田川の白帆、ほおずき市、草市の宵月、虫売り、菊供養、べったら市等の情緒をうたい、歳末と歳の市に雪が降る情景で最後をまとめたものです。
各流派で、いろいろに振付けられている作品で、割合新しいものなので、衣裳・かつらも好みのものを使用していますが、今回は芸者という役創りで、踊りました。
吉原、奥山などを唄いこんだ風物詩なので、特にドラマチックなものではありませんが芸者の姿を借りて、女の細やかな情感を表現したいと思いました。さらに大変良く書かれた曲なので、リズムに乗っての「踊り」としての見せ場も多く、舞踊家にとっては、いわゆる「気持ちの良い」作品です。
しかしそこが難しいところでもあり、気分良く踊ってしまうと軽くなりがちなのです。舞台にかける場合、演者としてはなにかお腹にずしんとくる部分がないといけませんでしょう?さわやかに軽やかに仕上げる作品ほど、「息合い」が大切なのだと思います。
歌詞に関しては興味深いことが多いのですが、先の女の情感という点を一つあげてみたいと思います。
「ひけは九つ、なぜそれを四つと言うたか吉原は、拍子木までが嘘をつく・・・・」
このあとに新内のお三味線(唄はなし)が続きます。ここは芸者の格好はしていますが、吉原の遊女と客と間夫の間で交わされる駆け引き、帰したくない心情、待つ身の辛さなどを表現します。
九つになって、もう引けの時間なのに、「まだ四つじゃないの」と言う・・・・・
何とも女の可愛らしさを感じます。色街の中だからこそ成り立つお話しかも知れません。
私は今回この部分に焦点をあて、そこから発想して衣裳もかつらも考え、玉三郎さんが、新派の「日本橋」でお召しになった千鳥の紋付に黒地に白の寿の文字の一本どっこの帯というこしらえ。つぶし島田もしけを出し芝居風に作りました。それによって踊りも芝居心を持って出来たように思います。
舞踊は詩ではあるのですが、そこにドラマを織り込んでゆくことは、私の最大の楽しみなのです。