「瑞扇会」より

2005年8月19日(金曜日)

歯科エステ

カテゴリー: - 瑞扇 @ 20時52分24秒

ちょっと間があいてしまいましたが、月一の歯科エステ行ってきました。
港区にあるサン歯科さんで、菅野先生の診察の元、美人看護師のねじめ女史、
本当に丁寧な施術、仕上がって鏡を見ると、ホント綺麗!
超音波の洗浄はちょっとキツイけど、健康で綺麗になるためなら・・!

以前行っていた歯科では、納得いかなくて(ん十万)捨てて、縁を切りました。
どんなことでも、やはり「出会い」大切にしなくては!

あっ!比叡山で焼けた肌、早くなんとかしなくては!
日曜日はオ・カ・オアルブルさんに直行で?す!!


2005年8月16日(火曜日)

浴衣浚い

カテゴリー: - 瑞扇 @ 21時19分20秒

一般の方には余り馴染みのない「浴衣浚い」(ゆかたざらい)という名称。
これは文字通り、浴衣を着てお浚いの会を開くというものです。

私達が子供の頃(それでさえ、昔程日本舞踊のお稽古をする人がいなくなったと
お師匠さん方は、嘆いていらっしゃいましたが)は、お正月には「踊り初め」で
1年の幕を開け、祝いの踊りを舞って、師弟でお杯を交わします。

その後は「お月浚い」といって、毎月のように仕上がったものを、お稽古場で
お互いに発表し合うのです。踊った後は、「細く長く続きますように・・・」と
皆でおそばを頂くシンプルで爽やかなものでした。

そして夏ともなれば「浴衣浚い」です。これは料亭の舞台で、お揃いの浴衣を着て、
踊った後はお食事で・・・子供も沢山いましたから、はしゃいで嬉しい会でした。

秋になれば、氏神様(渋谷は氷川様です)のお神楽殿で、舞いをご奉納です。
このように1年の内に人前で何度も踊り、「本浚い」を迎えるのです。
これは華やかなイベントで、演奏も長唄、清元、義太夫、あるいは常磐津、それにお囃子。
かつら衣裳付け、大道具、小道具。一日の舞台のために大勢の方が動き、お客様も大勢で、
熱気あふれるものでした。
そういうことを何回も重ねて、そこからプロが生まれました。

残念ながら現在はその人口が減り、日本舞踊は特殊な存在になりつつあります。
日本人の血がある以上、食べず嫌いにならず、まず公演を鑑賞してくださることを
願ってやみません。

作品に対する好き嫌いは仕方のないことで、なにかぐっ!と
くるものに出会ったら本当に心豊かになれます。
これからは外国の方々と一緒に仕事をしたり、学んだりすることが多くなります。
その時に、日本は小さい国だけど大きな文化を持っています。

古典芸能といわれる、能や歌舞伎は知識として語ることができるかも知れませんが、
ほんのひと手、一緒にやってみてください。
といって扇子(なにも舞扇でなくたって良いのです。)をはらりと開き、お花が咲く様子や、
雨や雪の降る様、日本の情緒を表現して見せてあげたら、とても素敵な文化交流になると思うのです。

大袈裟でなく浴衣をさらりと着て、タイムスリップする楽しさ、多くの方に体験して欲しいです。


2005年8月9日(火曜日)

比叡山薪歌舞伎

カテゴリー: - 瑞扇 @ 20時04分36秒

あつ?い 京都へ行って参りました。
しか?し 比叡のお山は寒かったんです!

東京駅で花柳春先生にお会いした時、「ん?」という表情を感じ取り、
勿論その訳も充分計り知れたのですがつまり私のスタイルが、
ちょと?だったのでしょう。だって?!どう見ても舞踊家じゃありませんもの。
でもガルソネ・モンマルにしかないグレーのチュニック、でもそれって
先生にしてみれば「ボロボロファッション」だったのでしょうね・・・

京都に着いてあまり休む間もなく、あらかじめ送っておいた着物に着替えました。
春先生は淡い藤色地に金糸の縫い取りのある蘭が染めてある訪問着に、洒落た光琳松の染め帯。
私は紺地の立絽の付け下げに、朱鷺色と淡い金の小さな格子の織り帯。

ちょーお気取りで比叡のお山を登りました。(勿論歩きではなく、車でですが)
深山幽谷、まさにこの言葉のごとくのしつらえで、下界では味わうことのできぬ舞台設定でした。

片岡仁左衛門丈と中村壱太郎丈による、長唄「連獅子」。
その頃は、まだお山は暮れずうす明かりの中での趣向を凝らした演出。
(劇場ではないので、当然緞帳もなし、自然光を活かしたもの)

時計を見ると7時10分に「一番ぼ?し、み?つけた!」
暮れなずむ山の端延暦寺の僧侶による火入れの儀。そしていよいよ創作歌舞伎の始まり!

今年の12月に坂田藤十郎襲名を控えられた、
中村鴈治郎丈主演の「永久の燈火」(とわのともしび)?最澄入寂ー。

真の闇にレーザー光線が飛び交いスペクタクルな幕開けです。歌舞伎にはめずらしく、
女流舞踊家の尾上紫(ゆかり)さんはじめ群舞にも女流が登場し、哀しいお話しに
華やかさが添えられた感じでした。

鴈治郎丈の最澄さんは、誰もが救われるという大乗仏教を日本に広めるために命をかけますが、
病の床に伏し無念にもとうとう大乗戒壇設立を果たせぬまま入寂してしまいます。
その七日後、やっと朝廷から勅許が下ります。ふと何かを感じ空を見上げると、
ひゅーと白い布が山門の上に飛んで行きました。
まさにイリュージョンそれは「魂」だったのですね。(演出ー宮川高範さん)
いつも思うことですが、鴈治郎丈はなんて華のある役者さんなのでしょう!
   
特設の客席のまた華やかだったこと、祇園街、先斗町、宮川町はいうに及ばず、
京阪の超有名お茶屋やバーのおかみさん、ママさん。
お山を下りてお食事が始まったのが午後10時頃。宮川町で夜中過ぎまで遊ばして頂いて、
ホテルに着いた頃はもうフラフラ。でも私夏の京都好きです。

いつもは送り火めがけて訪れるのですが、
ちょっと早い鴨の河原もまた風情ありけり・・・・でした!
      



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